みなさまこんにちは、ネムリコです。
今回はとびきり暗いことを考えてみます。
筆者は何か嫌なことがある度に、「始めから存在していなかったら、それが一番良かったんだけどね」と心の中で呟いています。
なんだか格好付けられていますけど、つまりは誰もが一度は考えたことがある、すっかり手垢の付いたセリフ「生まれてこなければよかった」をいっているだけですね。


「生まれてこないことが一番良かったのかもしれない。でももう生まれてしまったからには仕方がないし、死ぬのも怖いから、グダグダ言っていないで生きていく」と考えを切り替えるのが正しい大人ですよ。


でもこの「存在しないことが一番良い」という考え、一理あると思いませんか。
もしこの世に存在していなかったら、お金の心配もないし病気の心配もないし、死ぬのは怖いなぁと心配することもありません。


たぶん「始めから存在しないことが一番良いことは間違いない、でももう存在してしまっているから、」という具合に、うまく切り替えにつながるんでしょうね。
今回はこの考えてもどうしようもないのに思わず考えてしまう暗くて魅力的な問いを、もう少し突き詰めて考えて、逆に希望を見いだしてみようと思います。
なぜ生まれてこない方が良いと思うのか
辛いことがある可能性がゼロだからですね。
筆者は社会人になって20年近くたちますけど、いまだに仕事が平気にならないんですよね。
この世に存在していなかったら、苦労して仕事をする必要がありません。
お金の心配もないし、病気の心配もないし、死ぬ時は苦しいんだろうかと心配することもない。


虚しくないですよ。
始めから存在しないんだから、虚しいとか充実しているとか、感じることもありません。
幸せも感じられないんですけど、不幸もありません。
良いとか悪いとか、そういう判断も存在しない世界です。


そういう問題じゃないんですよね。
こんな暗いこと書き連ねていますけど、筆者はわりと幸せだと思ったこと多い人間だと思いますよ。


でももし始めから存在していなかったら、うれしいこととか幸せと思えることが一切なくても平気だと思いませんか。
だって何も感じないわけだから。
その上もちろん辛いことも起こりません。


今筆者は大好きな猫を2匹も飼っていて(野良だったのを保護しました)、とても幸せだと感じています。
もし筆者が生まれてきていなければ、猫たちと出会うことも幸せを感じることもなかったわけですけど、始めから存在しないのだから、それについて何か思うことはないはずです。


猫たちとの出会いに感謝してるし絶対に不幸にしたくないと思っているんですけど、そもそも猫たちだって、生まれてきていなければ飢える心配も凍える心配もなく、不幸になる心配もなかったわけですよね。
こう考えていくと、猫たちも生まれてこない方が安全だったんじゃないかと思えてしまいますね。


筆者が一番暗くなった頃
筆者が今までで一番暗くなった頃は、「自殺する人たちは正しい決断をしているような気がする」とか言っていましたね。


今からでも無理やり存在しない状態にするということですから。


簡単に実行できるものではないですよね。
例えば確実に楽に死ねる方法があって、その方法をある程度簡単に使える場合。
それで毎日がとても辛くて、その辛さが死への恐怖より勝ったら・・・・・・


本能的なものなんでしょうね。
実行した人たちは本能的な恐怖を越えていたと考えると、その辛さは計り知れないです。


なんで自分自身で始末してやらないといけないんだ?と。
生まれてきたことは自分の意志ではないというのに(たぶん。「自分で親を選んで生まれてくる」という物語もきいたことはあるが、脳みそができる前から意志決定できるとは思えないので、ここでは細胞ができる前は無、ということで。)、死ぬ時は自分自身で確実な方法を調べ、周囲への影響を考え、場合によってはけっこうな金をかけて準備し、本当に楽なのかと最後の最後まで恐怖にうち震えながら実行しなくてはいけない?
そもそも死にたいと思うほど辛いことが起こったのは、自分の意志に関係なく生まれてきたせいなのに?

世間に対して。
世界に対してね。

親に直接言ってみた
こんな今さらどうしようもない考えですが、親に直接言ってみた人は少ないんじゃないですかね。
そうでもないかな。
親の「生まなきゃよかった!」に対して「生んでくれなんて頼んだ覚えはない!」みたいな売り言葉+買い言葉、昔からよくききますしね。


筆者はわりと親との関係が良いので、感情的ではなく静かな口調で、「自殺する人たちは正しい決断をしているような気がする」の後に言いましたね。
「はぁもうどうして生んでしまったの。嫌がらせ?」と。


「なんてこと言うの!」とか「親に向かってそんなこと言うもんじゃない!」とか、思考停止する人ではないんですね。
親:「うーん、そうねぇ、特に何も考えてなかったよ。今よりずっと、結婚して子どもを生むのが当然っていう時代だったからねー」
そうですよね。
生まれた後に子どもがどう思うかなんて、大多数の人たちはしっかり考えるわけないですよ。


そもそも生物を含めた物質自体が「できる限り長く存続したい、自身でできなければコピーを作ってでも」という方向性を持っているように思えます。
そこであえて立ち止まって「子どもが生まれたくなかったと思う可能性があるからやめとくか」と考えるには、だいぶ頑張って自然の方向性に逆らう必要がありそうです。


親に直接恨みごとを言ってみる。
子どもじみているし、大半の親子関係にとって良い方法だとも思えません。


結果、筆者にとってだけは大変良い効果をもたらしました。


仮に「嫌がらせだ」という答えが返ってきたとしても、嫌がらせでスッキリする以上に育てる苦労がありますから、それを本音とは受け取らなかったと思います。
さらに「将来面倒をみてもらうため」という答えだったとしても、「自分が生きて苦労するのは利己的な親のせいだな」と責任転嫁できるので、やはり「仕方ないな」と気分は切り替わると思います。


こんなこと考えた人いくらでもいた
今まで何か嫌なことがある度にこのような暗いことを考えてきましたが、わりと最近、この考えには「アンチナタリズム(反出生主義)」という名前があり、哲学の分野で何人か研究者もいるということを知りました。
しかも2000年以降にも本が出されています。
(デイヴィッド・ベネター 著,小島和男・田村宜義 訳,2017.10月,すずさわ書店)
原書は2006年出版です。
ベネター氏は「存在してしまうことは常に深刻な害悪である」と考え、自殺ではなく「人々の誕生を防ぐ」ことが良いという考えを持っています。


(森岡正博 著,2020.10月,筑摩書房)
森岡氏は「生まれてこなければよかった」と思うことはあるものの、「生まれてきてよかった」と思えるためにはどうすればよいかを考えています。
この著書によると、「生まれてこないことが一番良い」という考え自体は紀元前の古代ギリシア時代からあったようです。


筆者は「生まれてきていなければそれが一番良かった。でももう生まれてしまっているし死ぬのも怖いから、できるだけ幸せに生きていきたい」という考えです。
子どもを生むことに関しては、前項でも触れたとおり物質自体ができる限り長く存続しようとする方向性を持っているように思うので、別に「やめとけ」って伝える必要はないのではと思います。


生まれてきたのはあなたのせいではない
自分の人生の責任は自分にある。
そのとおりなんですけど、それってどうにか努力して幸せだと思える状態にしないといけないって意味なんですかね。


幸せになる責任をあまり真剣に考えると、辛くなってしまう人もいるのではないでしょうか。
ここまで長々とみてきましたが、生まれることを絶対的に良いこととは思えない人間は、たくさんいます。
辛くなるくらいなら、少くとも生まれてきたのは自分の責任ではない(少くとも筆者はそう仮定します)のですから、「生まれてしまったから仕方なく生きてやっている」くらいの心持ちの方が、精神衛生上良くはないですかね。


自分を少しでも救ってやりたいと思う心は忘れたくないですよね。
筆者は今後も「始めから存在しないことが一番良かった」とぼやきながら、「でも生きてきてうれしいこともあったなぁ」くらいの心持ちで、生きていきたいと思っていますよ。