みなさまこんにちは、ネムリコです。
「みんなちがって、みんないい」
金子みすゞさんの詩の一節ですね。
筆者がこの詩を知ったのが中学生のときで、筆者の義務教育時代が「個性を大事にする」教育全盛期(今もかな)だったもので、はじめきいたとき「なんて素晴らしい!」と思ったんですよね。


今回は、どういう状態になれば「みんなちがって、みんないい」と本気で思えるのかを、考えてみようと思います。
少数派になることが多い
筆者がロングスリーパーという言葉もなかった時代から「睡眠時間が多く必要なこと」に悩み続けてきたことは、すでにさんざん愚痴ってきたところです。
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学生時代までは「他の人たちのように遅い時間のテレビ番組を見られないから合う話が少ない」というかわいらしい理由で、社会人になってからは「あまり残業ができない」という少し深刻な理由で、それなりに本気で悩んできました。


それにしても物心ついてからずっと思ってきたのですが、ロングスリーパーだということ以外にも、どうも筆者は少数派になることが多いようなのです。
まぁ誰でも何かの分野では少数派になるでしょうし、わざわざ集めて数えればけっこうな数になるんでしょうけど、筆者が自身を少数派だと思う理由もちょっときいてくださいよ。


例えば猫派。
動物はみんな好き!といいたいところですが(どんな動物も嫌いではないです)、動物もそれぞれ全く性質が異なりますからね、気が合うとか合わないとかあるんですよ。
筆者が小学校就学前、まだ実家で猫を飼っていなかった頃から、外で偶然に出会う機会だけでも猫が好きでしたね。


犬も友達の家なんかでさわらせてもらう機会がありましたが、強そうな体とか声とか少し怖いんですよね。
でも筆者が学生時代を過ごしていく間、世間はずっと犬派が多数派でした。
ご近所だけでも明らかに犬派が多数派でした。
で、最近の調査でもやっぱり犬派が多数派(出典:LINEリサーチhttps://research-platform.line.me/archives/37189947.html)なんですよね。


それからこしあん派。
これに関してはまだ「粒あん」と「こしあん」という言葉も知らなかった5歳の頃、幼稚園で毎年1回もらう紅白まんじゅうによって判明しましたね。
「あれぇ、去年もピンク色の方がおいしかったような・・・」という筆者の呟きを、親が拾ってくれました。


親は我が子の記憶力の良さを喜んでいました。
で、やっぱり粒あん派が多数派でしょう。


和菓子コーナーがあってもこしあんの商品1つもないとかザラですからね。
最近はおはぎとか柏餅の季節にコンビニなんかで粒あんとこしあんの両方を置いてくれることが増えて、本当に感謝しています。
ふだんは全く置いてくれなかったりするけど。


そして極め付きが一人っ子。
むしろこれが全ての問題の根源なのかもしれない。
一人っ子だから平均よりトロいから猫が寄ってきて猫派に・・・とか。


まぁ世間にはすでに一人っ子のイメージが出来上がっていますから、仮に速くできた場面と遅くなった場面があっても遅くなった場面だけ目立って、「やっぱり一人っ子はおっとりしてるわね~」という評価になる、ということはあると思いますが。
とにかく一人っ子は「集団の中でまともにやっていけない」というイメージが定着していますので、一人っ子であるというだけで多数派と認定されることは非常に困難となるのです。
違いの限度
まぁたくさん並べたてましたが、いちばん困るのはやはり「睡眠時間が多く必要なこと」ですかね。


でも、限度がありますよね。
例えば筆者は睡眠を平均9時間程度とらないと体調が悪くなるのですが、どうにかフルタイムの仕事ができ、残業も時々か少しならできます。
でももし筆者が睡眠時間12時間程度必要な体質で、フルタイムの仕事ができず自営でも生計が立つほど稼げない場合、それは個性として許されるんですかね?


「足が早い人もいる」「勉強が得意な人もいる」「みんなちがって、みんないい」といいながらも、「1人分稼げない人もいる」という話をあっさり「それもいい」と認めることは難しいでしょう。
それに「自分は通行人を殴るのが好きだ。個性だ」とかいう人が出たら、それも認められないでしょう。
「みんなちがって、みんないい」とか「個性を尊重しよう」という場合でも、結局は「法律の枠内で」とか「最低限のことをした上で」という前提がありますよね。


だから「1人分稼げない」もしくは「稼ぐことが難しい」という内容をあっさり個性として認めることは難しいのでしょう。
迷惑をかけないことは難しい
でも現実に「1人分稼ぐことが難しい」人たちはたくさんいますよね。
その原因が変えられない性質のせいなのか、不景気のせいなのか、単に根性が足りないせいなのかはともかく。


ただもしロングスリーパーが気のせいや甘えではなく実際に存在する体質だった場合、例えば睡眠時間が12時間程度必要なロングスリーパーがフルタイムの仕事に就くことは、非常に困難だろうと予測されます。


そうかといってパートタイムやアルバイトの短時間勤務では1人分の生活費に足りそうにないですし、ロングスリーパーだとかけ持ちも難しいわけです。
それなら自営業等で短時間で生計を立てられるようにすることが理想ですが、これを対象者全員に要求することはずいぶん酷なような。


それに書きながら気づきましたが、1人分稼ぐことに限らず、「自分自身に関わることは全て自分だけでどうにかして、全く他の人たちに迷惑をかけない」ことは難しいですよね。
まだ自分の力だけでは生きていけない子どもたち、生まれつきか年を取ってからかはともかく何かが不自由な人たち、みんな他の人たちの助けが必要なのではないですか。
その人数は決して少なくないですよね。


どうすれば「みんなちがって、みんないい」と思えるのか
ではどうすれば「みんなちがって、みんないい」と思えるのか。


近年取り上げられることが増えた「発達障害」も、ひと昔前まではそれを表す言葉もなかったですし、今でも「誰でも何かしら当てはまるところがあるし、いちいち障害として認めていたらキリがないんじゃないか」という意見もありますよね。


それではいっそ、多数派と同じようにできないことで困っている人たちを線引きしようとしてもキリがないことを前提として、全員を助けてはどうだろうか。
誰でもみんな、1人分生きていくだけのお金はもらえる。
それに足して嗜好品を買ったり好きなことをしたい場合は仕事をする。


「助けてあげないといけないくらい困っているかどうか」を審査する人件費は浮くと思うんですけどね。
ベーシックインカム、魅力的なシステムだとは思うんですけど、よく考えたら仕事することを完全に個人の趣味レベルにした場合、医療従事者とかますますいなくなって、お金はあるけど医療は受けられないということになりそうだと思い至りました。


とりあえずは「他の人たちに迷惑をかけてはいけない」という前提を少し疑ってみて、今後も発達障害のように困っている人たちを新たに見つけ出すか以前からある問題を改善するかして助けが必要な人たちを助け、「配慮の必要がない」とされた人たちにも負担がかからないように配慮していく、という方向が現実的だろうと思います。


【参考サイト】
「NPO法人 日本過眠症患者協会 ロングスリーパー(長時間睡眠者)」
https://www.kaminshou.net/longsleepers
(2021.6.5)
「ベーシックインカムの意味とは|生活保護との違いや日本でのメリット・デメリット」
https://www.job-terminal.com/s/features/%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%A0/
(2021.6.5)